まだまだ眠っているエピソード、今回は第2章の『長い夜』に入っていたものです。
削ってしまった原稿を発表すること、これは作家としてはやってはいけない事ではないかという思いがしないでもありませんが、まず私はプロの作家ではないし、それにフィクションではありますが、金武さんに関連した事を少しでも知りたいという読者が必ずおられると思うので、敢えて発表させて頂きます。
小学校五年生の修学旅行で日光へ行くことになった時、悠二は父にカメラを貸して欲しいとせがんだ。父は病気で苦しむ悠二の気持ちが少しでも紛れればと思い、貸すのではなく、お前にやる、と言って渡した。それはオリンパス製で、ピントが、近景、中景、遠景の三段階しかなかったが、悠二にとっては宝物になった。悠二の他にもカメラを持って来た生徒はいたが、どちらかというと、少数派だったため、悠二は風景よりも友達の方をより多く撮らされた。操作方法については、父に十分聞いたつもりだったが、フィルムを巻き戻す時、底に付いている小さなボタンを押すのを忘れてしまった。そして、固いなあと思いながらも力を入れて巻き戻してしまったため、途中でフィルムが切れてしまっていた。それを知らずにまた新しいフィルムを入れ、それを撮り終えたあとも、またボタンを押さずに巻き戻し、とうとうフィルム二本を無駄にしてしまった。二度と撮れない修学旅行の写真を台無しにしてしまった事は、写真家としては散々のデビューであったが、そのことの教訓は胸に深く刻まれ、その後、悠二が写真を撮る時に気持ちを引き締めてくれることには役立った。
母は悠二がとにかく喘息の発作を起こさず、修学旅行から無事に帰ってきたことを喜んだ。寒い時期ではなかったが、山道や石段もあるコースだったので、普段は体育を休んでいる悠二には到底無理だと思っていたが、悠二の希望と、食事や、運動量など、すべてに注意して引率すると言ってくれた担任の先生の熱意で実現できた事だった。そのあと、悠二が喘息の発作を起こして坂牧医院に行った時、坂牧先生が、空気が綺麗だった事も喘息の発作が起きなかった一因かもしれないなと洩らした一言が、しばらくフミの頭の中から離れなかった。
中学校に入ると、悠二はすぐに写真クラブに入った。部室としては、技術家庭の時に使用する教室をあてがわれ、他の文科系クラブと部屋を共用していたため、活動日は週二回だけだった。最初に行った時には、先輩が、アルバムに納めた自分達の撮った写真を見せてくれた。みんなそれぞれ違った一眼レフカメラを持っていて、悠二には眩しく目に映った。机の上に置いてあったカメラの一つを取り上げて見ていると、一人の先輩から、「勝手に触るなよ」と言って怒られた。悠二は謝って元の位置に置いたが、胸の中のつかえはしばらく取れなかった。そのあとも何人かの先輩と話をしたが、みな一様に気位が高く、また、活動時間の間、ほとんど笑い声も聞こえなかったので、悠二は、健康を理由にニケ月ほどでクラブを辞めた。「辞めます」と言って、その暗い雰囲気に包まれた教室から出たあと、陽だまりの中で白球が弾んでいるテニスコートの脇を通りながら、悠二は心の底からほっとしていた。
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